右肩上がりを目指さない

「投げられた石にとって、上がっていくことが善でもなければ、下がっていくことが

 悪でもない」

2世紀頃に生きた、かのローマ帝国の皇帝、マルクス・アウレリウスの言葉だそうだ。

この言葉に初めて出会った時、何か肩の力がふっと抜けたような感覚になった。

巷には、何か人間とは、常に成長を求めなければ存在価値がなくなるかのような、

意識の高い自己啓発的な価値観に溢れかえっている。それらに一定の理解は示せる一方で、

その情熱やキラキラ感みたいなものに対して、ある種の息苦しさや居心地の悪さも感じるのが

本音だ。

何かの指標(たとえばお金、地位、名誉、知識、技術など)において、自身が右肩上がりになり

続けることが正しい生き方だと言われるよりも、乱高下するのがデフォルトであり、上がっても

下がってもどちらに執着することもなくただその時々の状況を味わうだけという考え方の方が、

自身の心がどこかホッとする。

冒頭の言葉と出会った時に感じた安心感は、このようなところから来ていて、幸せは比較から

生まれるものでないということを再確認出来たということでもあったかもしれない。

人は、生まれて、老いて、病気になって、やがて死ぬ。

人生の本質は、これだけ。「死」という消滅に向かって、この体が時事刻々と変化することで

しかない。これ以外のあらゆることは、色んな人が色んな意味づけを人生に対して行い、

発信しているだけということだ。

日々色んなことに執着し、色んなストレスを抱えて、感情が掻き乱されてしまうけれど。

冒頭の言葉が頭の片隅にあるだけで、深く悩んだり迷いそうになったりした時にふと人生の本質に

立ち返ることが出来る。

歳を追うごとに、人生における色んな装飾や執着から離れられればなーと思う。

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