違和感に目を瞑らないこと

今回は、自分の思考の整理のために書く。

仕事を辞めようと思っている。

新卒入社の会社で、もうすぐ勤続14年になる。

ここまで世間並み以上の給料を貰えてきたことには感謝している。

ただ、今も続けている理由がその一点のみであり、会社で仕事をする時間が

基本的にイライラと焦りと、何も問題が起きないことを祈る時間でしかないことに

耐え難くなってきたためである。

もっと主体的になれば、状況が好転するのではという見方もしてみた。

ただ、主体的に行動した先に、社内的な「成功」を手にすることにデメリットしか

感じない自分がいる。

僕が勤めている会社は、強烈なリーダーシップをもつCEOのワンマン経営による、

完全なるトップダウンの社風だ。一旦「CEO指示」が下れば、何をおいても最優先で

取り組まなくてはならない。その内容によって優先順位を下げることはあってはならない。

取引先との商談アポが入っていようがお構いなし。先方を待たせてでも、オフィスの模様替え

即実行しなくてはいけないような会社である。

そんな環境の中で、僕は今、あと一段で管理職という立場にいる。ただ、これ以上歩を進めたく

ないと感じてしまっている。

なぜならば仮にさらなる評価を得て昇進したとしても、150万〜200万くらいの

年収増と引き換えに、「CEO指示」の影響を受ける世界が広がるだけだからだ。

(望んでもその地位が手に入るかは別だが、一旦手に入るという前提として)

「CEO指示の影響を受ける世界が広がる」=「自分の意志と反して、人生の時間を際限なく

会社に投入し続ける」ということ。

いや、ただ時間が奪われること自体に抵抗感を感じているのではない。

そこに、相手(部下)への敬意が全く感じられないというところに抵抗感を感じているのだと

思う。僕は、たとえ相手が部下であっても、何か指示を出すならばそれをどういう考えで、

どういう目的のもとでやって欲しいのかというところを必ず伝えるようにしている。

相手の時間を使ってもらうことに対しての、それが礼儀だと思っている。

ただそれが経営陣にはほぼないと言っていい。とりあえず上層部の会議で決まったことが、

神々の啓示として下りてくるだけ。かつ、すぐやれとだけ添えられて。

また、CEOやその周辺の数名の幹部に見られるのは、時に人としてどうかというレベルの言動

(例えば公開処刑のように部下を複数人の面前で感情的に叱り飛ばす)をとることがある。

そうして権威を誇示し、恐怖政治を敷く。

今いる社員はおそらくほぼ全員が、入社当初にこういう部分に抵抗感を抱き、そしていつしか

免疫ができ、「社会の厳しさ」として、高収入を得るための一つの条件としてそれを耐えることを

受け入れていくようになってきたのだと思う。

ただ僕はこれらに対する違和感が、入社当初から消し去れないでいる。

それどころか、年々大きくなっている。

ブレーキを踏みながらアクセルを踏むように、

自分の中で、強烈な矛盾として、ストレスとして、内に抑えながら今までやってきた。

ただここに来て、限界を感じる。

このどうしようもない違和感を押し殺してまで、この会社で自分はこの先何をやりたいのか。

何を得たいのか。

どうしても何も答えが出ない。

多分、このような環境下においても、社会を良くしたいだとか誰かのためにという鮮明な会社理念が

あってのことであれば、まだ歯をくいしばれたのかもしれない。

しかし、内側にいる社員からはただただ、利益だけを追い求める姿勢しか伝わってこない。

その利益の一端で、自分たちが生活を繋げていけているという感謝はもちろんある。

ただ、自分は別にもう乗組員でなくても良いというのが本音だ。

会社を去りたい。この違和感に、もう目を瞑っていたくない。

去った後のことは具体的には描けていないが、人生をダウンシフトさせていこうと

考えている。

年収を下げてでも、自分の気持ちに嘘をつかず、家族との時間を大事に、簡素で丁寧な

暮らしをしていく。

今年のテーマにも掲げたが、「右肩上がりを目指さない」

こんな時期が人生にあってもいいんじゃないかという気持ちで、実験的にやってみたい。

妻とも相談しているが、自分達の価値観に照らしても、全く悪い方には転ばないんじゃないかと

答えを出している。

もちろん、どうなるかはわからないけれど。

ただ元々、人生に「安定」は無い。

やっぱり右肩上がりの経済成長こそ正義だったとなれば、またそちらに舵を切り直すことも

出来る。

羅針盤を度々見直しながら、この先も航海を続けていきたい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました