おすそ分け

ちょっと肉じゃが作りすぎちゃって、、、というフレーズで、ご近所さんへ

「おすそ分け」をするみたいなシーンがドラマとかでも散見されると思う(最近はもう

こんなベタなのは無いかもしれないが笑)

この場合の心理って、これを一つのきっかけとしてご近所さんとの繋がりを深めたいとかそういう

下心がどこかにあるのかもしれない。ただそれをあえて度外視すれば、本当に作りすぎたのであれば

翌日に食べれば良い。それをせず、他人にあげるという行動に至るには、自覚の有無にかかわらず

仏教でいうところの「知足(足るを知る)」という教えの体現が不可欠だと思う。

自分にはこれだけあれば良い、これだけあれば十分満たされているし、これ以上は贅沢だという

いう線を引くこと。

個人的にもとても大切なマインドだと考えているが、一方で現代においては結構入手困難な

マインドだとも思う。

片時も離すまいとスマホを握りしめ、常にインターネットやSNSの世界と繋がっていないと

不安を感じる現代人。

画面を通して、巧みなマーケティングにより四六時中様々な欲を刺激され、不安を掻き立てられ、

気付けば不要なモノを買っていたり、時間を浪費して消耗していたりする。

こんな状況下では、少しも損をしたくないというタイプの人間が量産されることはあっても、

知足を体現する人が生まれるにはかなり厳しい条件が揃っていると言わざるをえない。

ただ、だからこそ欲のうねりに飲み込まれないよう、自分で自分の欲に線を引くことが

特にこの現代では重要なことではないかと思う。

かくいう僕自身も、完璧に出来ているとは全く思わないが、例えば考え方の一つの基準として

「衣・食・住」に関わる部分以外の出費なんかは、全て贅沢にあたると常々考えるようにして

お金を使っている。

これは自分にとって必要な出費か、贅沢費か。

そうやって自分の中で意識しながらお金を使うことで、「何となく」という理由で出ていく

お金は確実に減らせる。

そして、生きたお金の使い方が徐々にできるようになると思う。

日頃忘れがちだが、日本という国に生まれ育ち、日々仕事やなんやで細々としたストレスは

あるものの、こうして今日も大過なく衣食住を享受出来ているし家族も元気でいてくれている。

比べることではないかもしれないが、過酷な状況で生きることを余儀なくされ、

明日をも知れぬ今を過ごしている人がこの世界には数多くいる。

そう思えば、例えば自分が贅沢費として使う予定だったお金の一部を、寄付や義援金に回したところで

ほぼ何もダメージはないわけで、そんな考え方・お金の使い方をする人が増えれば増えるほど

この社会はもっと多くの人にとって居心地が良いものになっていくような気がする。

何も偉そうなことを言うつもりも全くないし、みんなが多額の寄付をすべきという端的なことが

言いたいわけでもない。

日々自分のことでいっぱいいっぱいだからせめてストレス発散として自分のためだけにお金を

使いたいというのももちろんありだと思う。

ただ、そんな心持ちの人が増えていくばかりの社会では、少し寂しいような情けないような

気がしている。

誰かに譲るほど金に余裕はないと声高に言う人が一定数いそうだが、そんな人ほど、

自分のお金の収支を全然把握していなかったり、何も考えずスマホゲームに課金しまくったり

していないだろうか。

作りすぎた肉じゃがのおすそ分けぐらいの感覚で、稼ぎすぎたお金を、持ちすぎている物を、

困っている誰かにという感覚になれる人をどう増やせるか。

外野っぽい立ち位置から言うだけでなく、自分自身も社会の一員として実行しつつ、これから

未来を生きる子供達のためにも、そんな人が一人でも増えるよう願ってやまない。

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